(私の過去ツイートから引用)
そういえば絶対音感の定義って何?
— ヴァー@大学オケ (@viola_de_pon) 2016年3月22日
街中で聞こえてくる音がAだと分かったところで、それは絶対音感と言えるのでしょうか? そのAが実は339Hzだったということが分からなくても絶対音感と言えるのでしょうか?
— ヴァー@大学オケ (@viola_de_pon) 2016年3月22日
百歩譲って339HzのAを認めるとしても、それ以外の音はどうなる? 十二平均律的に定義する? 純正律で定義する?
— ヴァー@大学オケ (@viola_de_pon) 2016年3月22日
私にしては挑戦的過ぎるツイートをし、フォロワーさんを2人ほど失ったのですが、この「絶対音感」というテーマには非常に興味があるので記事にします。
私は絶対音感を持っておらず、絶対音感を持っている人に負い目を感じることがあったのですが、今日を境目にそのような感情を持たなくなりましたので、その理由を書きたいと思います。
「絶対音感」の世間的定義
世間的定義というもの自体が謎ではあるのですが、一般的に「絶対音感」がどう認識されているかをまずは確認しておきたいと思います。
例えばA君が適当に「アー」と同じ音程で歌うとBさんが「この音はラね」と言ったとしましょう。
すると、周りの友達は「Bさんって絶対音感あるんだ! すごい!」となります。
また、友達同士でマクドナルドへ行き、ちょうどポテトが揚がった音がしたとしましょう。
その音程が「ソファソ」だと言えば、とりあえず絶対音感保持者の称号を受け取ることができます。
これらの例から考えて、世間的には聞こえた音の音名がわかれば「絶対音感」がある判断されるようです。
お、意外と「絶対音感」はガバガバなのでは??
Wikipediaの定義
天下のWikipediaが以下のように述べています。
「絶対音感」は、特に「音高を音名で言い当てる能力」の意味に限定して捉えられている(この場合、西洋音楽でかつ十二平均律による音高ということが暗黙の前提となっている)。ただし、その場合も必ずしも機械のように「完全」な精度を持っているとは限らず、その能力の範囲に当てはまる絶対音感保有者の中でも高精度な者も、より精度が落ちる絶対音感保有者もおり、精度そのものは個人差がある。
曖昧な定義です。特に後半の「個人差」に関して、どのくらいが許容されるのかが定かではありません。
イ=440または441または442Hzとした時の十二平均律による音程を基準とするということです。
なるほど、そこまでされると流石に私も厳しいので、絶対音感保持者には未来永劫に至るまで頭を下げ続けなければならないのかと肩を落としていたところ、意外にも「十二平均律」というところに絶対音感の欠点が潜んでいました。
「絶対音感」は実は「妥協済音感」だった!?
理想の音律は純正律です。
純正律の和音は互いに響きあいます。
そもそも純正律は響きを目的とした音律だからです。
しかし、純正律には基準音によって音程がぶれてしまうという欠点がありました。
詳しい説明は長くなるので、この場では割愛させていただきます。
十二平均律。この音律は妥協の産物で生まれたものです。
十二平均律でチューニングされた音は、オクターブ以外は決して響きあうことはありません。
しかし、基準音以外のすべての音を少しずつずらすことで、純正律の欠陥を補うことに成功しました。
ここで私は「十二平均律をよりどころとする絶対音感は正義ではないのでは」という負け惜しみの極みともいえる考えに至ったのです。
十二平均律が妥協の産物ならば、「絶対音感」は「絶対」なんかじゃなくて「妥協済音感」に他ならないではありませんか!(負け犬の遠吠え)
実は、絶対音感は音楽をやるうえで不必要な能力です。
これも、語りだしたらキリがありませんので、また今度。
私が考えた切り返しとは
友達「俺、絶対音感あるんだぜ!」
私「すごい! 自分は妥協せずに耳を鍛えていこうと思う!」
これで友達のプライドを傷つけずに、自分は十二平均律に妥協せず、和音の世界を追求するのだという意味を含ませることができます。
相手に伝わっているかどうかは問題ではありません。
すべては自分をポジティブにするための切り返しであり、相手と議論を交わそうというコンセプトではないことはご理解ください。
もし友達に絶対音感を自慢されたら、あなたも積極的にこの切り返しを使ってください。
ポイントは「自分は妥協せず...」とすることで「自分も妥協せず...」とはしないことです。
このくらいは言っても戦争にはなりませんので、ギリギリを狙っていきましょう。
おしまい。