ベートーベンの第九ってあるじゃないですか。
世界中のみんなが大好きな曲なんだと思いますが、僕ももれなく大好きだ。
普通、第九が好きっていうと、第九を聴くことが好きっていう意味になると思うんだけど、僕は聴くだけじゃなくて、第九を歌うこと特に好きだ。
第九を歌うことが好きなあまり、何かをやりながら口ずさむ歌も全部第九になってしまっている。
でも、それってよく考えたら結構気持ち悪いんじゃないかって思うようになった。
世の中の女子高生が
「カチューシャー♪」
って口ずさんでいるような時(選曲に突っ込むのは禁止)
僕は
「オー、フロ~~~オオイデ!」
って歌っていることになる。
冷静に考えて横の人がちょっとノリノリの雰囲気で
「オー、フロ~~~オオイデ!」
とか歌い出したら、
うわっ! キモ!
ってなるよね。
ならない人は僕のお友達になれるよ♪
今、うわっ! キモ! と思った人訴えます
いや別に僕は気にしませんけど
全然気にしていません(震え声)
僕は第九を歌い続けたいんだ!
やっぱり舞台の上で歌いたい
いくら鼻歌で第九を歌っても、僕の第九を歌いたいという気持ちは満たされない。
どうせだったら舞台の上で歌いたい、といつも思っている。
でも、僕はヴィオラをやっているので、いざ第九をやる機会があると、必ず戦力として動員される。
なぜならばヴィオラは演奏人口が少なく、常に人手不足だからだ!
もちろん、第九のヴィオラパートをやるのもとても楽しいのだけれども、4楽章も盛り上がる中盤に合唱隊が自分の後ろで高らかに歌っているのを聞くと、もう体中がうずうずしてきてしまう。
ああああ、歌いたい!
って思いながらガツガツ弾くのはなかなか耐え難い。
いっそのこと楽器を放り出して合唱隊に合流できればいいのに!
と思っている。
舞台で歌うことは僕にとってはそれほどに憧れることなのである。
スポットライトを浴びて、会場に歌声を飛ばせたらなんて良いストレス解消になるのだろう。
かといって、最初から合唱隊としてやりたいわけではない
だったら、ヴィオラが弾けることを隠して最初から合唱隊に参加すればいいじゃないか、ということになる。
でも、これはやりたくない。
理由は第九は4楽章だけじゃないから。
第九をやるなら1、2、3楽章も楽しみたいと思う。
楽しむには聴くだけではやっぱり不十分で、自分が演奏する側に回らないと満足できない。
この感覚、わかってくれるだろうか。
4楽章は歌いたい。
でも、1~3楽章は楽器で演奏したい、っていう感覚!
もっと欲を言うと、4楽章の歌うところだけを楽器を捨てて歌いたい! っていう感覚!
ああああ、もう何も書けなくなった。
それではさようなら。
いいや、やっぱもうちょっと書く!
4楽章を弾いたり歌ったりするのは絶対に無理だし、ヴィオラを弾きながら歌うことは不可能だ。
でも、3楽章が終わったときに抜け出せないだろうか。
「第九に限っては演奏者は3楽章終了後、任意で合唱隊に加わってもよい」
今の日本には上記のような社会的慣習が必要だと僕は強く訴える。
日本を変えよう! わたくし、選挙に出馬します!
清き一票を! 署名を!
(ウソです)
ホントに終わり。
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